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2009.03.21 (Sat)

NHKに出てみた

ひょんなことから、NHKの「日本の、これから」という生放送の番組に出演しました。
テーマがテレビということもあり、なんだかご指名をいただきました。
来るもの拒まずでとりあえず何でもやってみようと前向きに参加してみたのですが
やはりテレビで言いたいことを言うって難しいですね。
他にもいっぱい人がいたし、番組のテンポも速くて、そのノリにもついていけず、結局、発言したのは次の一度だけ~。
「基本的にほとんどテレビはみてません。」

あと、パネルに記憶に残っている番組を書くコーナーがあったので
よし、これだと思い
「宇宙船地球号 大麻は森林を救う」 
*1998年テレビ朝日

を書いたのですが、チラッと映っただけでその後、二度と映ることがなかったみたいです。
決して大麻を解放せよ!とかそういう意味で書いたのではなく
物事の捉え方、事象を捉える角度を言いたかったのですが、チャンスは与えられませんでした。
実際、あの番組は画期的なものでほんとによく制作したと思うし、なにより挑戦していた。
新しいエネルギーを伝えていくことこそ、今の不安定な社会が求めていることなんじゃないかなぁ。

出演した番組は基本的にテレビの在り方が変わってきていて、今後どうなっていくべきかというような感じでした。
そして全体的にテレビをもっと見てほしい的な感がありましたが、なぜ見る必要があるのかな。
変な世界を煽ってばっかのテレビなんてない世界でもぜんぜんいいのだけど・・。
ただ多くの人が見ているし、すごい技術力があるし重要な存在であるのは間違いありません。
世の中の様々なところで変化が求められている中で、テレビメディアは本当にすごい役割を持っていると思います。
その道のプロが集まってるはずの業界、今の世の中を見つめて、自分たちが持っている力を見つめなおせば変化していくと思うけどね。

結局はその世界に関わる人間たちの生き様になりますね。
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23:55  |  映像論  |  トラックバック(0)  |  コメント(3)

2009.02.07 (Sat)

VS パソコン

撮影してきたら、やっぱりその後は編集作業というのが待ってます。
ものにもよるけど、始まったらとことんパソコンと向かい合います。
これが本当に鬼門です。
何がって自分自身の精神力ももちろんですが、パソコンを使うってこと。

今は、パソコンの性能がめちゃくちゃ良くなって、かなりスムースに編集が進むようになりました。
始めたころは、ちょっと動かすとすぐフリーズ。
再起動しなおして、またやり直し。
やり直したと思ったら、また同じところでフリーズ。
さらに何十時間もかけていよいよ完成っていうころに限って、クラッシュ。
夜中の3時に発狂、なんてこと幾度となく体験しました。
この世の終わりのような気持ちになります。

最近はそういうことがだいぶ減りました。
が、油断してるとそれは突如やってきます。
パソコンってほんと気まぐれ。
なぞです、なぞ。
どんどん新しいものが出ていってますが、今の状態に特に不満がなければ
それを維持していくほうがストレスなく作業できるかと思う。
むやみに新しいものに手を出すと、安定性が悪かったりして面倒なことになることもあるのです。



ちなみに今回は編集したものを書き出すと、音がないっていう病気。
あんた、つい先日まで、そんなことなかったっしょ!?って素直に思います。
そういう過去にない症状が出ると、また途方もない闇を抜ける治療が必要となってきます。
それを乗り越えることも映像制作における一つの壁であるのです。
今回はOSの再インストールまで行く羽目になり、それでも治らなかったという・・・。
でも結局は、実に簡単な方法で症状は治まりました。
パソコンはよーわからん。

↓こんな画面を見ながら、編集作業はひたすらつづく。premiere


Adobe Premiere Pro CS4をお使いの映像屋の方。
「メディア書き出し」でデータを書き出した際、音声が書き出されないという症状がありました。
タイムライン上のプレビューでは音は出ています。
premiere、Media Encoder共にも4.01にアップデートしましたが改善されません。
結局、解決策として、同プロジェクト内に新たなシーケンスを作って、そこに編集データをコピー&ペーストしたら音は出るようになりました。
つまりシーケンスがおかしくなったということですね。
特に作業していて、おかしなこともなかったので、意味不明です。
ほんと編集って・・・修行です。

テーマ : 映像・アニメーション - ジャンル : 学問・文化・芸術

13:24  |  映像論  |  トラックバック(0)  |  コメント(1)

2009.02.01 (Sun)

カメラを向けるという行為

昨日は意識が朦朧としている中、夜な夜な映像に対する想いを書きなぐっていました。
朝、目が覚めて改めて読むとちょっと恥じらいもあってポッと顔がほてりますが
まだ思春期は続いてますので、今夜も徒然なるままに・・・。


カメラを向けるという行為。
これって映像やってるものにとって、特にドキュメンタリーを意識するものにとって
避けては通れない大きな課題だと思う。
なぜなら、まず基本的に人はカメラを向けられるという行為が非日常だから。
撮影するという舞台が整っていればそれはその世界だから違うけど、カメラって日常の中でいきなり構えられるととても威圧的。
自分はカメラマンだからと自分勝手な理由をつけて随分と横暴にカメラをまわしていた時期が長かったけど
ここ最近はカメラを向けるという行為は慎重にやるようにしている。

なぜ、カメラを向けるのか?
なぜ、記録するのか?

基本的に記録しなくていいことは記録しないほうがいい。
何事においても要らないものは要らないし、荷物は軽くしていきていきたいという気持ちがあるので
記録に関しても残すべきものが残っていればそれでいいと思ってる。
難しいのはその“残すべきもの”というのが何かということ。
つまり伝えていきたいものということなんだけど、それがどこまで明確になっているかで記録する内容が変わってくる。
たとえば僕の場合、サヨコオトナラという音楽バンドを3年間追い続けた。
始めは、とにかく目の前に起こる現象を撮り続けた。
サヨコオトナラという世界観がまだ見えていなかったから、とにかく見えるものを撮っていった。
その中で決定的瞬間(映像だから決定的時間になるけど)を押さえるんだという気持ちが強かった。
その結果、眠ったままの映像記録は山のようにあるけど、いい場面もいっぱい撮れた。
それでも本質をとらえれているかというとまだ疑問に残るところではあるけど。

今は、なるべく撮らないようにしている。
さっき言った荷物は軽いほうがいいという考えの元、
撮るべきものを撮ろうという意識がそうさせているんだけど、でもそれが非常に難しい。
どこがポイントなのかということを自分の中で明確化されていないと、
決定的瞬間を逃したまま時間は過ぎていく。
過ぎた時間はもう戻ってはこない。

プロとアマの違いはそれで食べているかどうかということなんだろうけど、
腕のいい悪いはまた違ってくる。
それで食っていってるからと言って必ずしも腕がいいとは限らない。
当然、そうであるべきなんだけど、高い機材を持っているだけのはっきりひどいプロのカメラマンなんてごろごろいる。
常々思うのだけど、カメラマンの腕って

まず決定的瞬間に立ち会えるかどうか、
その上でその瞬間を押さえれるかどうか、
さらにその瞬間をどう押さえるか、


の3つだと思っている。
その時にいなければ、話にならない。
その時にいても、カメラを向けていなければ撮る事ができない。
その時にいて、カメラを向けていても、技術がなければ形として崩れてしまう。
要は、決定的な瞬間がくるのを予測して、構えて、どうキャッチするか。
狙っているという表現をよく使われるけど、まさにカメラマンは狙っている。
ある意味、ライフルと一緒。
機関銃のように闇雲にカメラを向けるというやり方もあることはある。
でもそれはいつか必ず弾切れを起こしてしまうし、何より周りにご迷惑をかける。
ゴルゴ13のように、難しい状況下の中でも一発で仕留める、それが腕前というもの。
実に自然体で漂々とその場を漂いながら、そしていざその瞬間が来たとき、それはもう無意識の中で、その世界を切り取れる存在、それが理想のカメラマン。

今はカメラマンがいっぱいいる。
そりゃカメラを持っていれば誰だってカメラマン。
映像の世界はハマれば面白いし、力があるのは間違いない。
だからこそ、カメラを向けるという行為は慎重であり、神聖なものでなければならないと思っている。



ただし、これからの先、映像がもう必要でなくなる時代がやってくるようにも思える。
“その時”がきたら、カメラを向けるという行為をきっぱりと終えれるよう、
“その時”がくるまで映像の旅をつづけていきたい。

テーマ : 映像・アニメーション - ジャンル : 学問・文化・芸術

02:25  |  映像論  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.01.31 (Sat)

テレビは映像なのか?

最近、映像のことをよく考える。
映像ってなんなんだろう?とか。
思春期みたいなものかな。
おもうことを徒然なるままに書いてみようかと思う。

まずテレビの存在。
インターネットの拡大でテレビ離れする人が多い・・・と思ってたけど
まだまだ「テレビ=映像」っていう人いっぱいいるんだってことは最近なんとなくわかった。
テレビの影響はまだまだ強い。
それでも僕自身の流れから言っても、やっぱりテレビ離れは進んでいってる。
近い友人でテレビ番組を作っている人たちがいるから、こんなことをいうのもなんだけど
数年前から、ぜんぜんテレビ番組が面白いと思わなくなってる。
なんのメッセージ性もアイデアもないただの視聴率狙いの番組は論外として、
ちゃんと作ってる番組ももちろんいっぱいあるんだけど、
しかしどれもこれも硬直化してるように見えて仕方ない。
テレビ放送が始まって50年、これまでいろんなことをしてきたんだろうけど、
その50年という長い時間が体制という枠を作ってしまって
それが番組の中で見えてきてしまってるように思う。
鈍い、なんといっても。
仮に新しい何かアイデアが生まれたときに、テレビでそれを実現するまでにかかる時間と労力が半端ないであろう。
そうこうする間に新しいアイデアはとっくにテレビの外で活躍する映像アーティストたちがどんどん展開していってる。
だから僕の中で、テレビに何か斬新な映像を求めて見るという気持ちはさらさらなく、
そんなことよりもマスメディアとして今、テレビは何を視聴者に見せているのかっていうことを見ることくらいになってしまっている。
テレビは映像か?
ううん、NO。

じゃあ、映像ってなんだ?
映像っていうのはやっぱり表現方法の一つ。
何か自分が体験したこと、想いついた事、ひらめいたこと、それを形にする一つの手段。
人によってはそれが音楽であったり、絵であったり、料理であったり、建築であったり、まぁ多種多様ですが、映像もそう。
何をどう表現するかでその作り手の存在価値が変わってくる。
かっこいい素敵な映像を作ろうとする人もいるし、
もっと自分の内面を映し出す映像を作ろうとする人もいるし、
社会的な側面を前面に出す作家もいるし、記録映像にこだわる人もいるし、
そこはその作り手それぞれ。
で、表現という点においてテレビではその幅が決まりすぎてて、もはや表現する場としてはほとんど機能していない、と思う。
何より、テレビ以上に映像表現できる環境がもう今はあるからそっちの方にどうしても目が行ってしまうのはごく普通の流れ。

いまや、Youtubeをはじめネットで動画を見るのは当たり前になってるし、
いろんなところで個性の強い上映会とかも開かれてる。
映像アーティストの新しい表現が詰まったDVDもいっぱい出てるし、映像と他のジャンルとのコラボレーション作品も限りなくある。
僕が映像を始めた2001年と比べて、今は環境が全然違っており、より映像は見直されてるし進化している。
たぶん、まだしばらくは色んな新しい流れが出てくるはずで、次々に新星が現れてくる。

ずっと想いつづけてることが一つあって、色んな映像作家が一つのテーマを持って、それぞれの角度で表現するということ、そしてそれを一つの中で築き上げるということ。
いい例が坂本龍一氏が立ち上げたSTOP ROKKASHOのアクション。
六ヶ所村の再処理工場に対して、いろんな映像作家がそれぞれの表現方法で同時多発的に発表していくというやり方。
この方法はすごく面白い可能性があるんじゃないかなぁっと。
今、いくつかの映像コンペでもそういう動きが見えて、新しいムーブメントになるという期待はある。


映像の旅・・・。

つづく。

テーマ : 映像・アニメーション - ジャンル : 学問・文化・芸術

03:35  |  映像論  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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